POPEYEに載りたくて

本物になりたい。

なぜかそう思った16歳の僕は、ライブハウスに足繁く通っていた。

その日の目当ては、三十代のおじさんパンクバンド。めったにライブをしない彼らは、いつもいい加減な演奏をしてぐだぐだで終わる。ただ、音源は死ぬほどカッコいい。けれどライブは正確に演奏できない。そんなどうしようもなさも含めて、当時の僕はおじさんたちのファンだった。

ライブハウスからの帰り道、ひょんなことからそのおじさんバンドと一緒にタクシーに乗ることになる。

「音楽だけでメシ食うてるんですか?」

土砂降りの雨の中をタクシーが走る。カーステレオからはユーミンが流れていた。

「あー、俺は電気工事士の仕事やねん」

「免許とか必要なんですか」 

16歳、世間知らずの僕の質問に、ヴォーカルのおじさんは助手席から身を乗り出してこう言った。

「免許は持ってない、けどな」

ウインカーとワイパー、フロントガラスを叩く雨音が、ヘタクソなバンドみたいにビートを刻んでいる。

「ブラックジャックも無免許や。音楽も仕事も、大事なんは技術とハートやで」

その一言に16歳の僕は手を叩いて笑った。「ハートやで」の言い方に若干のジジ臭さを感じながらも「このおっさん、本物やな」と思ったことを憶えている。あれからあのおっさんバンドがどうなったのか、今も音楽を続けているのかも知らない。

ポパイに載りたい。

なぜかそう思った僕は今、落語家になっている。

安いけど高く見えるジャケットの特集ではなく、彼女に振られて一人でバーで飲む時のジャケット特集、ポパイ。

一ヶ月の着こなしコーデでページを埋めるのではなく、ティッシュカバーだけで数ページに渡る特集を組む、ポパイ。

あの有名人が着ている服を紹介します!ではなく、モデルが着ている服のほとんどがスタイリスト私物で、手に入れようがない雑誌、ポパイ。

クラスの一軍が休み時間に回し読みするのではなく、専門学校へ進学した高校の先輩、超べっぴんのマフミさんが非常階段で読んでいた、ポパイ。

あの頃の何者でもなかった自分にとって、ポパイは本物を教えてくれる雑誌であり、ポパイのその姿勢こそが本物だった。仮に掲載されている服や物を探し尽くし手に入れたとしても、それは「ポパイっぽい」だけで、ポパイにはなれない。ポパイを読んでいるだけでは、ポパイにはなれない。載っている“ それ”が欲しいんじゃなく、自分にとっての”それ”が欲しい。

今や落語家の人数は、東西合わせて1,000人を超える。

その中で一番になりたいんじゃない。恐れずに言うならば、落語ができるだけの落語家になりたいんじゃない。誰かの心を動かせるような、カッコいいと憧れてもらえるような、知ってるだけで人生ちょっと得したなと思ってもらえるような、本物になりたい。そして本物になるには、あの頃の僕に本物を教えてくれた「ポパイに載る」ことは欠かせない。

はじっこでもええ。太陽の塔の下で、ピースして映るだけでもええ。でもたまたま通りがかったエキストラじゃあかん。僕にとってポパイに載ることは、自分が本物だと認められることだ。自分で自分を本物だと認めてやれることだ。そして、いつか僕がポパイに載ったときに皆さんがよろこんでくれるよう、皆さんの期待に応え続けられたことの証明だ。それにあわよくば、べっぴんのマフミさんの目にもう一度留まりたい。

落語家に免許は要らない。技術はもちろん必要だが、技術だけじゃ心は動かせない。落語はおもしろいだけじゃつまらない。

落語家・桂九ノ一、ポパイに載りたくて。僕に本物を教えてくれたポパイに載るような「本物」になりたくて。

長いマクラはこれでおしまい。

本編は、どうぞ聴きにきたってください。

ーー2023年4月 喫茶どん底にて 

取材・文/ 白川 烈

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